リスボン やっぱファドでしょう。
6月9日
今日はファドの女王〜アマリア・ロドリゲスの自宅だった記念館から始まって大統領と遭遇したりと盛り沢山な一日だった。
…でもまだまだ終わらない。リスボンの夜を思いっきり楽しもう。
5年前の旅でコインブラでは〜
”A Cappella" と"Dilligencia Bar" リスボンでは〜”A Severa" "Topico de fado" ”Adega do Ribatejo"と聴きまくった。リスボンではブラジルの日本人歌手MAKOさんと出会ったことも良い思い出。
今晩のファドは”タベルナ・デル・レイ”(Taverna D'el Rey)というアルファマ地区のファド博物館近くにあるお店(65ユーロ) 今日は普段の三倍くらいの厚化粧をしてタクシーに乗り込む(9ユーロ)この旅一番の贅沢だ。
規模が大きいと”歩き方”に書いてあったが思ったより狭く、そこには観光客らしい西洋人がびっしりと座っていた。日本人…いない。
お隣はフランスから来た三人組。その中のお一人がまるで女優さんのように美しいのだ。相棒は美人が隣にいるものだから緊張で石になってる。
まず男性歌手が出てきて歌い始める。食事をしながら聴き、終わると大喝采。その盛り上がりようがいかにも西洋人。いいときは思いっきり騒ぐ。私も負けずに騒ぐ。
どちらかともなく笑顔を交わし、お互い拙い英語でお話をするようになって…小声で話していたら(もう一人の女性の親戚が日本に嫁いでいるとかで日本通だった)男性の歌手に怒られてしまった。
「ファドは静かに聴くものだ!」って。「すみません。すみません」と小さくなる私。
反省しきり。
さっきまでお料理を運んでいた女の子が歌い始める。貫録ある女主人も歌う。掛け合いで歌う。歌詞の意味が解らないのが悲しい。だが感情を込めた旋律は言葉の壁も飛び越えて私の心に響いてくる。
哀愁あふれるギターを奏でるおじさんギタリスト2人。そのお一人が5年前アルファマで出会った方だった。夜のステージまでの休憩をしていた彼がギターを携えていたので思わず声をかけたのだった。「日本にも演奏旅行に出かけた」と言っていた。その時にお覚えた日本語。「キョウ ハ ヨク イラッシャイ マシタ」だけは今も話せると。
5年前の思い出は私だけのものだったが、それを話すと喜んでくれた。そしてハグしてくれた。ああ〜あのフォトブックを持って来ればよかった。
お隣のフランス人は「明日はポルトに行く」と早めに帰って行った。相棒はあの美しい方の携帯に自分のアドレスを打ち込んだようだが…きっと手が震えて間違えてしまったのだろう。未だメールは届かない。
ファドを満喫して店を出ると広場は人人人。屋台もでてもうお祭りが始まっている。
アルファマは怖いと聞いていたが怖い事なんかない。
タクシー(10ユーロ)もすぐにつかまりホテルに帰る。途中、リベルダーデ通りには明日のパレードを見るための桟敷席が出来ていた。
明日は本当にポルトガル最後の日。相棒はリスボンでのんびりするつもりのようだが…私には心積もりがあった。住んでいるような旅をしたい〜はこの旅を決めた時からの一致したコンセプトだった。だが私が次から次へと計画を立ててしまうものだから…結局はそれにのせられ、あくせく動かざる負えななかった。相棒はそれには不満もあっただろうに、「yes, ma'am」に徹してくれたことに感謝だ。
ということで明日はシントラに再訪することに。
読んで下さってありがとうございます。
ポルトガル