ポルトガルが好きなんです!

 

             2005年に旅行会社のツアーで初めてポルトガルに行き、
     すべてに魅せられました。 垢抜けないところが私にぴったり。

        2011年には勇気を出して相棒と個人旅行。帰りはパリ に寄りました。

              昨年は5月29日~6月15日、三度目のポルトガル訪問。
            相棒のたっての願い~「石の村 モンサント」を目指ました。
  
             今年は6月 リスボン祭り(聖アント二オ祭)に行ってきました。帰って来て、すぐ、また、
             行きたくなる国ポルトガルです。
 
             これから何年生きられるか分りませんが、年に一度はポルトガルに~と思っています。
 

2015年2月~能登・輪島〜總持寺祖院は風格ある能登の古刹!(2)

 ヨーロッパ旅行ではありませんが2年前のちょうど今頃出かけた
能登・輪島の旅です。思ったよりも寒くなく食べ物は美味しくいい旅
でした。見て頂けたら嬉しいです。


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鶴見 大本山 總持寺


 余談ですが・・・
輪島に總持寺があるとはテレビ番組で初めて知ったのです。曹洞宗の永平寺
並んで鶴見の総持寺が大本山ということは知っていたのですが。
 舅や姑は「總持寺」ではなく
本山、本山と親しみを込めて呼んでいたっけ。
その本山に少なからず人生の節目にお世話になったのは私たちでした。
 実は40年前 鶴見の總持寺で仏式の結婚式を挙げたのです。お金のなかった
二人は、お金のかからない「本山」での式を選んだのです。


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≪曹洞宗大本山 總持寺祖院≫


 能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である。永平寺と並んで大本山となる。
1898年(明治31年)火災で焼失する。

 能登の總持寺が火災に遭ったのを機に、関連寺院から「交通の便が良い関東に移転しては」という要望が上がったそうだ。こうした声を受け、千葉や八王子などの候補地の中から、高台にあって四方を望める「鶴見ヶ丘」に白羽の矢が立ったという。

 その理由としては、当時は陸路だけでなく、海路も重要な交通手段であったから。
横浜港に近い鶴見は、その後に行われた移転工事に際し、資材を運ぶのに便利だったのである。関係者や参拝者の利便は、言うまでもない。


 1911年(明治44年)現在地に移転。その 浅野総一郎(浅野財閥)が15万坪の土地
を寄付するなど深い縁がある。

 現在、旧地に總持寺祖院(輪島市門前町)がある。永平寺派の「有道会」と並び「總和会」(總持寺派)の中心寺。


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路線バスで”門前町”まで。運賃680円。地元のおばーちゃんたちが乗っている。
マイカーに乗れないお年寄りには低料金でバスに乗れるような市からの気遣いが

あるのだろう。

バスを降りるとこんな家並みが続きます。


   禅の里 門前町

 バスを降りたのは、一人旅らしき若い女性と私たちだけ。



歴史を感じさせる佇まい。山門は総檜つくりで重厚なつくり。拝観受付の人に
「鶴見の總持寺と似ていますね」と言うと「あちらはコンクリートですからこちらを
しっかりと見てってください」と言われてしまった。「こっちが本家、本元
だから」自信を持っておられたようです。

鐵樹 枝を抽んじ 石樹 花を開く


御朱印いただきました。


 どう見ても西洋の面差しの僧侶がいらした。現在も雲水と呼ばれる修行僧が、
座禅をはじめ日々修行に励んでいるそうです。


 地元なので わが街の総持寺の僧侶にはその修行の厳しさを感じたことは
ありません。作務衣を着たお坊さんが普通に中華やさんに出入りしますし、
スーパーでも今風の冷凍品を求めている姿を目にします。盆踊りでハイテン
ションで踊りまくりの若い僧侶も見てます。現代っ子のお坊さんです。



 ゆえに輪島の總持寺祖院本山になればよかったと思うのです





    最後まで見て下さり有難うございます。