土耳古(トルコ)~7年前ですみません、、アヤ・ソフィア トプカプ宮殿 ブルーモスク(10)
12月13日(日)
7時35分にホテルを出る。70kmも走ってトルコ石やに行き、滞在45分。
そしてカイセリ空港に向かいTK0261 10時50分発にて イスタンブールへ。
たかだか1時間半のフライトなのにだいぶ遅れてイスタンブ-ルに着いたには
1時を過ぎていた。ただでさえ日の暮れるのが早いのにこれでは観光に時間
がとれない。
遅めのランチ。ドネルケバブ。日本の団体御用達のお店のようだった。
********************************************************************
イスタンブールはボスボラス海峡で大きくアジア側と
ヨーロッパ側に分かれて、ヨーロッパ側は更に金角湾を挟んで新市街と旧市街の2つに分けられる。
旧市街にあるアヤ・ソフィアを最初に観ます。
★アヤ・ソフィア(ビザンチン建築の最高傑作!)
ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂として建てられたが、オスマン帝国が征服した後はイスラムのモスクになったそうです。偶像崇拝を禁止するイスラム教に反する事からモザイク画の数々は500年間、漆喰で塗りつぶされていた。
トルコ共和国時代になって大修復され、沢山のモザイク画が
蘇ったのです!
入口。
「キリスト 皇帝コンタンティノス9世 皇后ゾエ」
「聖母子 皇帝ヨハネ2世コムネノス 皇后エイレーネー」
丸天井に描かれたモザイク画
「デイシス」のモザイク・イコン
金色に輝く、キリストのモザイク画を見たい!その一心で階段を駆け上り、
ようやくお目にかかれました。優しい眼差しで「よく、来たね〜」と言われて
いるようで〜しばし見とれておりました。萌え〜〜〜であります。
★トプカプ宮殿(オスマン帝国の至宝がいっぱい!)
宮殿の正門「帝王の門」(バーブ・ヒュマーユーン)
400年間オスマン朝の支配者の城として政治・文化の中心だった宮殿
は権力の強大さを見せつけるかのような財宝の数々がありました。
ルビー、エメラルド、トルコ石などがちりばめられた刀剣や武具、
調度品にはもうゴージャスを越えており、
「ここまでしなくても良いのにね〜too much!」
スルタンの玉座は何千個もの宝石が埋め込まれていて、
「座ったら痛そうだね」
「クッション敷くんだろう」
「このうちの一粒でも欲しいよね〜」などとお馬鹿で庶民、庶民した
相棒との会話を楽しみました。突っ込みどころ満載!
キンキラキンで敵を威圧するやり方もイヤです。お気に入りの女性
達を住まわせた★ハーレム(禁じられた聖域という意味)もイヤです。
10歳から15歳までの娘が何も知らずに連れてこられ、ご寵愛を受ける
為だけに生きるそして一生そこから出る事が出来ないなんて可哀そう。
「ああ〜〜その時代に産まれなくって良かった〜〜」
「産まれても選ばれなかったから、大丈夫だよ」などと軽口をたたく
相棒。
トルコ軍楽隊
宮殿ではトルコ軍楽隊の演奏が行われるそうです。
私たちは残念ながら遭遇できませんでした。
宝物館〜素晴らしいです。ニ回も周ってしまいました。
写真がなくてすみません。
★ブルー・モスク(スルタン アフメト ジャーミー)
6本の尖塔と巨大なドーム。内部には青い花柄のイズニックタイルがびっしり
と飾られ、圧倒的な存在感。
ご夫婦でパンを焼いて売ってました。
私達はそこで15分の礼拝を体験しました。言葉を発しなければ入場して
良いと言われ、スカーフのない人は布を借りて、モスクの床ににひざま
づき、祈りを捧げる人達を身近に見ることが出来たのです。祈りの言葉
の意味は解らないけれど、神聖な気持ちになったことは確かです。
外に出たときはすっかりと日が暮れて、ライトアップされた
モスクは入った時とは違った顔を見せていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日はトルコ最後のお宿です。★シェラトン アタキョイ★
窓から見る夜景はノスタルジック。
ホテルで少し休んで、着替えして、またバスに乗り、ベリーダンス・
ショーに出掛ける。ディナーショーとはいうものの、どうしたらこんなに
まずく作れるのだろうかと思うくらい、ミラクルまずい!お粗末な食事。
おまけに、まずいのは食事だけでなく、観光客だけ集めて、遠目から踊り子
さんのステージを見せるといった風で、臨場感が全くないのだ。
はずれ、、
喜ぶはずの相棒が少しも嬉しそうな顔をしないのが、それを物語っています。
お粗末!!! ↑ ↓
*************************************************************************
明日はいよいよ最後の観光です。ボスボラス海峡をクルーズします。
お立ち寄りに感謝いたします。