ポルトガルはいつも優しく迎えてくれる(30)…怪我はしたけどそれも思い出です。帰国しましたの巻
10月31日(水)~11月9日(金)まで正味7日間の短い
ポルトガルの旅日記ですが読んでいただけたら嬉しいです。
潤沢な資金を持って旅する方にはなんの参考にもなりません。
年寄り夫婦の節約旅です。途中 ばあばが転んで顔面強打。
お岩さんになりながらも旅を続けた涙もん旅となりました。
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11月8日(木)
いよいよ帰国の朝になりました。
枕銭と★Viva Viagem card(たぶんいくらかは残っているはず)なので置いておきます。
良くしてくれたホテルのスタッフにお礼を言ってさよならします。
空港内のパン屋さん。
スタバはどこでも混んでますね。
↓↓ 生まれ年の西暦ごとに売られているイワシの缶詰などを売っています。
搭乗ゲートに行くまでの間にサッカー用品が売られています。
リスボンからドバイを経由して成田に着くまでの総所要時間は18時間45分かかります。
行きは23時間40分もかかりました。この長時間のフライトが結構きつくなってます。
ここをクリアしないとポルトガルには行かれない。直行便はないから仕方がない。
いつまでいかれるか・・・それが問題だ。
ドバイに着陸前に↓↓ 出ました。
ドバイのセキュリティチェックの時に・・・私がつかまりました。まだ青あざが
しっかりありましたので大きなマスクをしていたので不審者と思われたのか・・・
セキュリティルームの中に入れ!とのお達し。いつまでも待たされているので相棒が
「早くしてくれ!」と係りに強くいったので、女性検査員が入ってきてチェックして
事なきを得ました。
乗り継ぎが1時間40分しかなく、しかも到着ゲートから出発ゲートまでの移動が
バスで時間がかかり、お土産のデーツをどうしても買いたかったので焦りました。
相棒はスマホを取り上げられてなかなか戻ってきません。「早く返してくれ」と
また強く言いましたので戻ってきましたが、それが本人のものだと証明しろと言われ
ましたが、幸い待ち受け画面が孫とのツーショットでしたので「この写真が僕だよ」
と見せてOKとなりました。
ドバイ~成田間に二回出た機内食は↓↓こんなです。
チーズオムレツ コロッケ フルーツ ヨーグルト 照り焼きチキン
茶そば グリルチキンも。ミルクチョコレートムース 牛肉焼きそば
無事に成田に到着。ああ~良かった、よかった。
旅を振り返ってみます。
10月31日(水) 成田出発
11月 1日(木) リスボン着
リスボン ストーリー センター
勝利の門
リヴェイラ市場
夕食は海鮮料理やさんへ
11月2日(金)
ナタを食べました
ベレン地区へ
海洋博物館
メディロス アルメイダ美術館
インテンデンテ広場
現地ツアーにのる
11月3日(土)
バスでエルヴァスに来た
城
軍事博物館
アモレイラ水道橋
夕食
11月4日(日)
ホテル内散策
グラサ要塞 ↑↓
現代美術館
ノッサ・セニヨーラ・ダ・アスンサオン教会
サンタ・ルジア要塞
ばあば顔面強打!の巻
朝からグラサ要塞に歩きで行って、動きっぱなしでかなり疲れてはいたけれど、「サンタ・ルジア要塞にも行きたい」とわがままを言ったのは私です。サンタ・ルジア要塞にそれほど特別の思いがあるわけではなく、ただただ私の計画通りにしたいというだけの気持ち。
エルヴァスの街に遠いグラサ要塞はやっつけて、近いサンタ・ルジア要塞をやっつけないで帰られますか!相棒はそのゴリ押しに仕方なく付き合ってくれた。
★サンタ・ルジア要塞--------
街から400m離れた場所にサンタ・ルジア要塞が建設された。人々は近くにある高いところから大砲で攻撃されることを恐れ、敵に陣取られ大砲を置かれると困る場所に要塞を作ったのだ。現在も街と要塞とを繋ぐ地下通路が残され、城壁の内側には大砲が置かれている。街を守る防衛ライン上には次々と要塞が築かれた。
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無事にサンタ・ルジア要塞行って街に降りてきた。私はホテルに荷物を預けてあったので、とりに行かなくてはいけない。相棒も疲れているはず。「私一人で行ってくるから」とバスターミナル近くのイタリアンのレストランで待っててもらうことにした。
たった1泊なのに荷物が多いのは私だけ。それはいつも「荷物が多いぞ」と怒られていた。自己責任ということで…私だけがホテルに向かった。フロントスタッフに感謝を告げて相棒の待つレストランに向かう。その途中…車の往来する路を渡る時…ああレストランが向こうに見えている。急がなくっちゃ。
足がもつれ転んだ!!!!!!!!
顔を地面にぶつけ、ビシッ!と音がした気がした。「ああ~やっちまった。もう終わりだ~~~~~~」しばらく起き上がれなかった。メガネを探した。ああ~壊れてない。良かった。荷物は遠くに飛んでいた。路の向こう側には家族連れがいたが、私がしばらく動かなかったので、死んだ?と思ったのか、そばに駆け寄ってきてはくれなかった。
恐る恐る起き上がる。血もでていない。ああ手も足も折れてはない。大丈夫歩ける!おもむろに起き上がり、レストランまでヨボヨボと歩く。家族連れのお母さんが「大丈夫?」と心配そうな、気の毒そうな顔をして私を見ていた。子供たちは恐ろしそうに私を見てフリーズしていた。
レストランはだいぶ混んでいて相棒は順番待ちでレストラン入り口で椅子に座って待っていた。入ってきた私の顔を見て「一体どうしたんだ===!」と驚き「大丈夫?大丈夫?」とうろたえていた。お店のスタッフが布に入れた氷をくれた。病院に行った方がいいのではと言われたが、帰りのバスは決めていたし、とにかくリスボンに戻ってから考えよう。テーブルに案内されたものの、食事をとる元気もない。感謝して店を出た。
バスターミナルでリスボン行のバスを待つ。レストランでもらった氷も解けてしまった。相棒は「ちょっと行ってくる」と居なくなった。しばらくすると瞬間冷却パックを二つ持って帰ってきた。スーパーに行って氷を買おうとしたがどれもビッグサイズで、とてもバスには持ち込めないものばかり。困っている相棒に店員さんが私物の冷却パックをくださったそうだ。 言葉が通じずスマホの変換機能を使って、妻が転んでけがをしたと言ったそうだ。ありがとうございます!本当に助けられました。ポルトガル人は本当に優しいです。すぐに冷やしたことが良かったようです。
バスに乗り込みリスボンまでの車中はどう過ごしたのかは記憶がありません。やがて、たん瘤は青たんになり、左目は開かない状態で、顔中に青いあざが多数。頭を打っていなかったこと、骨折をしていなかったこと、不幸中の幸いだった。大腿骨骨折などしていたら今頃リスボンでまだ入院していたのかも。
11月5日(月)
アルコバッサ修道院
ランチはイタリアン
オビドス
夕食は二度目の海鮮レストラン
11月6日(火)
カスカイス
パウラ・レゴ美術館
ギマラマンイス伯博物館
地獄の口
カスカイスのショッピングセンターでランチ
夕食はカレー
11月7日(水)
衣装博物館
演劇博物館
ランチはお寿司
アルマゼンス・ド・シアードのフードコート
ロッシオ広場は市場に変身していました
夕食はシアドの「Sea Me」 で
ファドレストラン「Caldo Verde」
最後にアイスクリームを。
明日は日本に帰ります。
怪我などのアクシデントはあったものの、まあまあ良く歩いたと思います。また来ます。ポルトガルは何度でも来たくなる国です。沢山の方に優しくしていただきました。だから旅が続けられたと思います。ありがとうございました。
ちなみにこの旅行でかかった費用を載せますね。(二人分)
自宅を出て自宅に帰るまでのすべての費用です。
飛行機と ホテルがセットになっているものをゲット ¥211585
エルヴァスのホテル代やチップ ¥12164
その他バスやタクシー, ヴィヴァ・ヴィアジェインカードなど ¥40415
食費 ¥64613
美術館などの入場料 現地ツアー(¥11166) ¥18524
WiFi 旅行保険 ¥12960
合計 ¥360261
ひとり18万円でした!
注・お土産は入れてません。
長くてまとまらない旅日記を最後まで読んでくださり感謝申し上げます。
コメントくださった方、ナイス下さった方、ありがとうございました!
ポルトガル