『三国志』特別展に行ってきた!
7月31日 猛暑日。相棒のたっての希望で上野の東京国立博物館 『三国志 特別展』に行ってきました。
「撮りましょうか?」と親切な方が撮ってくださいました。
この場を借りて御礼もうしあげます。
『2世紀末、漢王朝の権威がかげりを見せるなか、各地の有力武将が次々に歴史の表舞台へと躍り出ました。そして魏、蜀、呉の三国が天下を分かち、新時代へと向かう大きなうねりとなりました』
曹操高陵の発掘品などが沢山あって、「三国志」に疎い私でも飽きずに二時間余りを観ることができました。音声ガイド(550円也)はちょっと痛いけれど、これのお世話にならないとちんぷんかんぷんだもの。吉川晃司さんがナビゲーター。彼は「三国志」好きのようです。説明のほかにそれに関した 吉川英治作『三国志』の部分的に割愛した文章を読んでくれます。
写真がOKという大盤振る舞いなので写真撮ってきました。細かな説明はできませんが
さらっとご覧ください。
関帝廟 壁画
関羽像
関羽・張飛像
蜀の武将・張飛は関羽が敵に寝返ったと早合点するもそれが誤解とわかり悔い謝った。
『三国志演義』の名場面を迫真の造形美が伝える。
玉装剣 と その鞘↓↓
玉豚 高貴な人物の埋葬に際し、その手に握らせたもの。
壺
一級文物 獅子
儀仗俑
銅製食器 墓に収めるために作った非実用品。当時の食事の様子はわかる。
一級文物 鏡台 墓に収めるために作った土製品であるが当時の鏡の使い方がわかる。
一級文物 多層塔 死後の世界を照らす土製の灯り。4っの部品を積み重ねており
格段に人や動物 樹木などを表した薄板の像がつけられている。
一級文物 五層穀物楼
四層穀物楼
三連穀物楼
弩機
弩機
環頭大刀
赤壁の空に飛び交った 鏃(ぞく)激戦で使われたものだろう。
貨客船
撒菱 交通の要所に巻くことで敵の行軍を妨げることができる。
ミュージアムショップ↑↓
童子図盤
呉の名将・朱然の墓から出土。棍棒を手に立ち回る童子を描く。底面に「蜀郡堅牢」とあり、蜀の地の工房で作られたことがわかる。朱然は樊城の戦いで関羽を捕らえたことでも有名。
髪飾り
↓↓
墨書紙 紙が出てきた最初の頃。墨で書いてます。
左:魏帰義氐侯 金印 右:関内侯印
氐とは当時中国の西方にいた民族。
定規
車
車馬行列図
舞踏俑
奏琴俑
女俑 調理俑
逞しい大型犬が耳をそばだてて座っている。
車馬出行図碑
鎮墓俑
竹簡 竹の細長い札に文字をかいたもの。当時は神が普及しつつあったが
役所では竹の札も盛んに使用されていた。
文俑 読み上げ俑 座拱俑 持扇俑 持物俑
持物俑 杵臼俑 調理俑
↑↑ 「童子史綽」名刺
↑頭部に孔が空けられ脇腹に羽らしきものが ↑ 神亭 呉から東晋にかけて焼かれた
刻まれた羊の姿。宗教的な意味と用途があった。 明器の一種。
銅鼓
中国南部の漢族とは異なる人々が祭祀儀礼なあどの重要な場面で使ってきた。
カエル、騎馬人像 鳥の立体装飾を持つ例は呉の「山越」と呼ばれた集団との
かかわりが考えられる。
ガラス
ガラス連珠
大泉当千銭
曹操高陵
壺
曹操の遺言と薄葬
220年正月,魏の武王こと曹操は遺言を残し、葬儀の簡素化
つまり薄葬を命じた。
『曹操の遺言』
情勢が不安定である故、しきたりに従うことは出来ない。
寄って埋葬後は喪に服すこともない。
将兵らは持ち場を離れず、官吏は職務を遂行せよ。
遺体を飾ってはならぬ。
金玉珍宝も墓に入れてはならぬ。
鼎(てい)
把手と3つ足をつけた器。支配者の徳を粟ラスものとして重んじられてきた。
石牌
指輪 人面文瓦
虎形棺座
↑牛車 ↑筆 ↑書刀
揺銭樹
揺銭樹 台座
墓門
蟬文冠飾
蟬の文様をあしらった天使や重臣の金の冠飾。
"晋平呉天下太平" 磚
写真を撮ることができたので良かったです。ほんの一部ですが載せてみました。
説明がないものはすみません。よく解りません。苦笑。
「三国志」は本も読んでいないし、興味もなく、仕方なく?相棒に付き合ってきましたが、面白かったです。9月16日まで開催されています。
当初せっかくだからもう一つ美術館をといういつもの私の欲張りな希望もあったが、昼食にタイ料理とビールで一休みのつもりだったが、もう足が重くてその体力がない。
「もう帰ろか」「うん、帰ろ」
電車の中では 居眠りしてました。
来月にはポルトガルに行きます。ポルトを中心に歩きます。あまり細かな計画は
立てていません。体力と相談しながら、あちらに行ってから決めたいと思います。
「チョイ住み」ですね。
その前に この夏を越えなければなりません。
最後まで見て下さってありがとうございます。
みなさんもどうぞご自愛ください。熱中症になりませんように!