格安ツアーでポーランドに~ワルシャワ到着そしてトルンへ
とうとう、やっと? ポーランド ワルシャワ ショパン空港に到着。午前 10時55分。
外の気温は1度だとアナウンスありました。
1℃ってどのくらい寒いのでしょう。ちょっとビビります。
華美な所はなく清潔感があり、広かった気がします。
バスに乗り込みます。そして
トルンに向かいます。(12:00)気温は4~5℃でした。
こんな景色が続いています。ポーランドの語源が「平原」というそうですが納得です。
どこまでも平原が続いてました。どこか北海道の景色に似ているような気がします。
お天気がいい時は鹿が出てくるそうです。私は見損ないました。
濃い緑色はじゃがいもでしょうか。
霧が出てきました。トラックはライトをつけて走ってます。気温は3℃。
世界遺産 中世都市 トルン
トルンは13cにドイツ騎士団によって拓かれた町。
ドイツ騎士団は1190年の第三回十字軍の際に設立されたもので13cにはドイツの北東
バルト海地方の異教徒改宗事業に乗り出し、同時に東方植民運動の中心になってこの町
にも開拓を進めた。14~15cには商業都市として発展。
流れているのはヴィスワ川。全長1047kmもあり、ポーランドで最も長い川。
南部の山脈を水源としてクラクフやワルシャワを通ってトルンへと流れ、
北のバルト海へ注ぐポーランドにとっても最も重要な川。
川沿いの遊歩道の散歩してみたい。
イヤフォン・ガイドをつけて現地ガイドさんの説明を聞きながら歩きます。
トルンは地動説を唱えた天文学者コペルニクスが生まれた町。旧市庁舎の前には
コペルニクスの像がある。
地動説と言えばガリレオ・ガリレイが浮かぶが彼よりも
前にコペルニクスは「天体の回転について」という本のなかで地動説を唱えていた。
1473年裕福な商人の家に生まれたが早くに両親を亡くし、母方のおじに育てられる。
叔父は司祭でのちに司教までになった人物で、コペルニクスには司祭になることを
望んでいたが、天文学の研究を続け、ついには地動説を確信するに至った。
しかしその発表による影響を恐れて「天体の回転について」という本の販売は死期
を迎えるまで許さなかった。
旧市街広場を歩きます。
旧市庁舎の中は現在は博物館になっている。ここでは外観のみ。これも時間がないから
残念だけれど仕方がない。
1391年に着工されたゴシック建築。
広場は夕方から人が集まりますが路上の仮設レストラン、カフェは今は閉まってます。
郵便局↓↓↓とは思えないネオ・ゴシック様式の建物。後で切手を買いに行きます。
トルンはヴィスワ川によるグダンスクまでの丸太浮 送ルートの拠点で、筏師たちの休憩場所として知ら れました。旧市街の聖ヤン(ヨハネ)大聖堂の時計は 中心街の方角ではなくヴィスワ川の方を向いて、筏師 たちに時を知らせました。町を蛙の災害から救った筏 師の名は、イヴォとも言われます。
よく見ると本物のネコちゃんじゃないのね。遊び心?
聖霊教会
かってのドイツ騎士団の城跡、広い公園のようですが今は廃墟です。1454年にトルン市民の蜂起によってほとんど破壊されました。その時の一部が残っています。
↓↓↓の建物はドイツ騎士団の城の脇にある、burghers courtという15世紀の物。80年頃ユースホテルとして使われていたこともあったそう。
昔 大洪水があった時の水位が残されていました。
だいぶ暮れてきました。店の灯りが点いてきました。
郵便局に切手を買いに行きましたが正面の入り口はクローズ。裏の入り口を教えて下さった親切な女性でした。
銀行のようです。
トルン名物のピエルニク(Piernik)のお店。 コペルニック・トルン(Kopenik Torun) since1763
ジンジャーブレッドと呼ばれ,ショパンの大好物であったそうです。
だいぶ暗くなってきました。
夕食はホテルのレストランです。特別なものはないですが食べさせて頂けるだけで
有難いです。
ビールは8ズロチ。日本円で約240円。Zywiec(シヴィェツ)美味しかったです。
長い長い一日がようやく終わりました。手足を伸ばして寝られるのが幸せです。
絵葉書を3枚書いてからおやすみなさい。
朝ごはんはこんな感じです。
長くなりました。最後まで見て下さりありがとうございます。
途中カメラの電池が切れて観光の一部が撮れていません。
明日はボズナン、ヴロツワフに行きます。