行ったことのないところへ行こう!④~敬老パスで大船 常楽寺へ!
6月16日 薄曇り
家を出るのが遅くなってしまったけれど向かう先は大船の
常楽寺。
それも敬老パスを使ってただで行こうというわけです。
年金暮らし、交通費が安いのはありがたやなのです。
新横浜から市営地下鉄ブルーラインを使って上大岡駅。
そこからバスを使って大船へ。バス乗りましたよ。約40分。
👆 大船駅東口 バスターミナルに到着。
お昼がまだなので大船のお寿司屋さんで日本酒ともにランチ。
豊魚(鈴木商店)🍣 久しぶりです。
回転ですが全部オーダーしてから握ってくれます。ごはんは少なくネタは大きいのがいいです。価格も良心的です。地魚、マグロは絶品です。
お腹もいっぱいになったので常楽寺に歩いて行きます。
👆大船小学校
👆大船中学校 美術館のような建物です。おしゃれ~~~びっくり。👇
木曽義仲の子、清水冠者義高の塚があるという鎌倉市大船の常楽寺にきました。山門をくぐると、仏殿裏に北条泰時の墓所、裏山の中腹に泰時の娘の姫宮塚(大姫墓?とも)があり、山??には木曽塚が祀られています。
住 所 鎌倉市大船5-8-29
宗 派 臨済宗
本 尊 阿弥陀三尊
開 基 北条泰時
開 山 感誉存貞
創 建 1237年
アクセス「大船駅」よりバス「常楽寺」下車すぐ、もしくは「大船駅」・「北鎌倉駅」より徒歩20分
大船駅からは歩いてきましたがバスで来たらとても近いです。
👇“常楽寺の山門~17世紀の建立。(鎌倉市の指定文化財)”
👆👇 仏殿
仏殿には入れません。暗かったのですが写真は撮れました。
鎌倉五山第一位、建長寺開山蘭渓道隆が、建長寺が建立される1253(建長5)年まで、
ここに住んでいた事でも知られてます、重要なお寺を建てるときは、それに先立って少しばかり離れたところに小さな寺を建てるのだという。それが常楽寺です。仏殿には、本尊の
阿弥陀如来像とともに蘭渓道隆像が安置されています。👇
👆 石碑に説明がある。右側にある五輪塔が泰時の墓。👇
北条泰時の生涯 身内 御家人に反発され、決して安泰ではなかった得宗家の苦難の歴史【鎌倉殿の13人】
仏殿裏に執権北条泰時の墓所があります👇
👆龍淵和尚の墓 👆 大応国師(南浦紹明)の墓
👇文殊堂(入母屋・茅葺屋根造り 江戸初期建立)
文殊菩薩坐像が安置されており例年1月25日に行われる文殊堂祭でのみ開帳される。
どんどん階段を上っていく。前日の雨で滑りやすい。
頼朝と義仲は当初、源氏同士の争い避けようと互いの子、義高と大姫を幼い頃に許嫁と
したが、その後頼朝と義仲が敵対。頼朝の命で義高は殺害される。それを知った大姫が
食事が喉を通らないほどに憔悴。政子が頼朝を責めたと歴史は展開していく。大河でも詳しくやってましたね。7歳と12歳。かなり早熟かな。
看板には姫宮塚(泰時公の娘) 大姫とも書かれていた。👇
👇粟船稲荷
【鎌倉】木曽義高の墓(&伝 大姫の墓)常楽寺裏山(鎌倉市大船)|Tombstones in Kamakura
👇 もともと義高の墓はこの粟船山とは別の常楽寺の近くの木曽免という田んぼの中にあったものを1680年に移したそうです.。
👆木曽義高の墓です。
どなたかが立てられたのでしょう。まだ新しいお塔婆がありました。
テレビ 大河では 木曽義高役は歌舞伎役者の市川染五郎さんが演じられましたね。
ほんと美しかった。👇
義高は義仲の嫡子として生まれ、寿永2年(1183)頼朝のもとに、
大姫の許嫁として人質同然に送られてきました。
しかし頼朝が後白河法皇の命をうけ義仲を滅ぼすと、
頼朝は将来の憂いがないようにと、義高の殺害を命じました。
可哀そうだった======!!!
<スッキリ>八代目 市川染五郎 インタビュー【地上波未公開】
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松本金太郎改め 市川染五郎が 美しすぎると話題!!
木曽冠物義髙之塚とあります。
帰りはJRで戸塚に行ってブルーラインで新横に行くつもりでしたが時間がかかるので
敬老パスは使わないで帰りました。用事があったので。急ぎました。
それでも小さな旅4時間30分を堪能しました。
今日も読んで下さりありがとうございます。
明日は凛々子さんのコンサートにまいります。