安近短な旅(5)~2日目はちょっとだけ無錫の旅情を楽しむ
天気予報では今日も雨のはずなのだが・・・
予報は見事に外れ、あれ?青空?中国にも青空があるの?
相棒は「どうだ、僕の晴れ男パワー凄いだろう」と鼻高々で、ガイドさんは
「このツアーのお客さんが皆さん、いい人ばかりだから」とヨイショしている。
昔は有錫という名前だった???
3000年の歴史のある古都。
武器の原料となる錫(すず)があるため他国によく攻められていた。だが漢の時代に
錫が掘りつくされてしまい、名前を変更したという。無錫の観光をします。
無錫は面積4788キロ㎡でそのうち16.5 %が湖や運河が占めている水の都。
工業の町としても発展して多くの大手日系企業も開発区を中心に工場を構えている
そうです。
↑↑ 高層の工業団地があります。
↓↓ ケンタさんのお店。肯徳基って書くんですね。
れい湖公園
↓↓何故か大観覧車。一周する間にお弁当が十分に食べられるらしい。
それにしても大きすぎで怖いくらいです。
琵琶湖の3倍以上というれい湖をちょっとだけ遊覧します。
↓↓ ガイドのTさんが 自宅からお茶を入れて持参していた。
船を操縦する若い男性も同じようなお茶を操縦席の前に置いてあった。
思わずパチリ。ガイドさんに言わせると中国の方はいつもこんな風に
お茶を持ち歩くそうです。
中国4大美人のひとり西施が晩年過ごした西施荘に着きました。
西施(せいし)は紀元前500年前後に実在した中国の女性。山中にある施という姓の者が集まる部落の生まれ。毎日薪を切ったり、薄衣を洗ったり、普通の村の女性として生活をしていました。とんでもない美貌の持ち主だったそうです。その美貌は、呉への復讐に燃える越王・勾践の耳にも届き、西施は呉王夫差をその美貌で骨抜きにする任務を背負わされます。
「荘子」にこのような逸話があります。
西施は胸を患ってしまった。そのため、苦しげに胸に手を当て痛みに顔をしかめていたが、眉をひそめたその姿が美しく、近所の男連中の評判になった。
それを見た村の醜女が、「西施の仕草を真似れば自分もモテるだろう」と思い、胸に手を当て顔をしかめて村中を歩き回ったが、ますますブサイクに。
そのブサイクっぷりは、「金持ちの家は恐れをなして門を固く閉ざし、門のない貧しい者は妻子を連れて逃げ出す」ほど酷いものだったそうです。
日本では「〇〇小町」と美人を呼びますが、中国では「〇〇西施」というそうで
楊貴妃は人気がなくて「西施さんみたい」と言うと女性は喜ぶそうです。彼女にもたった一つ欠点があったそうで★大根足★のようです。あああ~~それはそれは残念!
現代では美人としては、ちょいと辛いかな?長いお衣装の時代で良かったですね。
うまい具合にちょっとしたショーをやっていて見せてもらいました。
二胡の調べが風景とあってとてもいいです。
ガイドさんの娘さんも二胡を弾くそうで中国では楽器を習うことが多いようです。
大きなそろばんが。
西施↓↓
↓王昭君、 ↓貂蝉
↓ 楊貴妃 ↓西施
↑↑↑ 四大美人ですが 西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃の絵が掛かっていました。貂蝉に代えて虞美人を入れる場合もあるようですが、一番は西施が不動の位置を占めているそうです。つまり世界三大美人の楊貴妃よりも中国では西施のほうが上の美人ということに
なり人気があるそうです。
本日のランチは無錫料理?
右下のお料理は無錫排骨。豚のスペアリブ。醤油味で甘辛く煮込んだもの。
贅沢は言えませんが、、骨部分が多くて食べでがない。肉も硬い。
ホントは柔らかいはずなんだけれど・・・
種類は多いです。白菜やピーマンの炒め物が美味しかったです。
それから 避けては通れないお土産やさん。淡水真珠店。
真珠クリームをみなさん買われていた。大昔から真珠クリームありましたね。
お土産に頂いたことありました。
それにしても日本語の上手い事、うまいこと。よくお話されます。
次は 東洋のベニス?蘇州に行きます。約65Km 1時間ほどで到着します。
読んでいただきありがとうございます。