土耳古(トルコ)~7年前ですみません、、隊商宿とカッパドキア(7)
12月12日(土)
コンヤのホテルを7時半に出発。途中 スルタンバンに寄り
走ること215Km 3時間15分のバスの旅。
私はここに来るためにトルコに決めたと言って良いくらい,この隊商宿に
思いを馳せていた。短い滞在時間に思いっきり写真をとる。土産やに多く
の人が走り、ここにはツアー客のうち数名しか入場しなかったので有難い
やら、どうして入らないのか不思議?でもあった。お陰で静かな佇まいを
堪能できた。
<キャラバンサライ>とは10Cからアナトリア(小アジア)地方に多く
たてられた現在のホテルとしての役割を果たす旅人の宿のこと。
駱駝や馬などの背中に荷物を乗せて長い旅を続けていた隊商(キャラバン)達
にとっては宮殿(サライ)だと印象を受けたことからサライと呼ばれた。
警備員を配置し、人や商品を盗賊から護るだけでなく、食事や飲み物を充実
させ、靴の修理や、動物の世話まで宿泊中は全て無料だった。より多くの商人
がこの地を訪れるように工夫がされていた。
3日以上の宿泊は有料になって、ここで怠けてしまわないようになっていた。
現在国内に約100のキャラバンサライが残っているが、そのほとんどが廃墟化
している。
中国からシルクロードを通ってイスタンブールまで1日30Km~40Kmの旅。
片道で1年6ヶ月。商売をすると往復で約3年3ヶ月から4ヶ月の旅。
考えただでも気が遠くなるような長く過酷な旅。
どんなにか辛い命がけの旅であったかと容易に想像できる。
そんな旅人がここを★宮殿(サライ)と呼んだ意味が分かるような気が
した。疲れた体を両手を広げて受け入れて癒してくれる。ここにいる間
だけは王様になったような気がしたのだろう。
これによってトルコは交易による多大な利益を
得て繁栄の道を辿ることとなる。
バスの中から幾つものサライを見かけた。夜、山賊に襲われないよう
にと日没までに次の宿に歩みを急ぐ、隊商達の姿も見えてくるようだった。
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カッパドキアはアナトリア高原の中心に広がる大奇岩地帯。
紀元前15世紀にはヒツタイトの中心地であったのが4世紀以降キリスト教徒
が入植、9世紀に入り★カッパドキアにイスラム教徒の支配が及んだ後も居続
けた。(トルコ共和国成立後、ギリシャとの間にキリスト教とイスラム教の
住民交換が行われ、この地からキリスト教徒が消えた)イスラム教から逃れる
ために、奇岩を刳り抜いた住まい、教会や地下都市<カイマルク>が厳しい
生活を偲ばせる。
無数の穴が開いている。これは岩をくりぬいて造った部屋。 ↑↑↑
鳩の谷 ↑↓
岩肌の小窓はハトの巣の出入り口。この辺は葡萄を栽培していて鳩の糞がその
肥料に使われる。
後ろの木についているのは”ナザールボンシュ”
魔よけの目玉 です。
タウロス山脈が隆起した6000万年前にさかのぼる。これによって東エル
ジエス、南西のハッサンなどの火山は長きに渡って火山灰を堆積させ、柔ら
かな凝固石灰層を形成、そこに流れ込む雨水、風雪の浸食が、この不思議な
風景を作りだしたそうだ。
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ここにいると、自分の人生なんて、点にすらなっていない。
1ミクロンにも値しない、ちっちゃな、ささやかなもの、とるに
足らないもののような気がしてきて、なんだか気楽な気分になる。
トルコアイスやさん。 警備員でしょうか。警察でしょうか。
もちろん食べました。 兵士でしょうか?
ちなみにトルコの男子にとって兵役は神聖なる
義務でありすべての男子が兵役に服さなければ
ならない。それを終えてはじめて一人前の男性
として認められるそうです。
今日のランチは~
洞窟レストラン
赤ワインは15💲だったかな。
この鱒は美味しかったです。その他にインゲン豆のトマト煮、スープ、ライス
プディングが出てきました。
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お付き合いいただき感謝いたします。
今晩は洞窟ホテルに泊まります。