ポルトガルが好きなんです!

 

2005年に旅行会社のツアーで初めてポルトガルに行き、すべてに魅せられました。

垢抜けないところが私にぴったり。

 2011年には勇気を出して相棒とポルトガルに個人旅行。帰りはスペイン サンセバスチャン、パリ に寄りました。

 2016年は5月29日~6月15日、三度目のポルトガル訪問。相棒のたっての願い~「石の村 モンサント」を目指ました。
  
  昨年は6月 リスボン祭り(聖アント二オ祭)に行ってきました。

帰って来て、すぐに、行きたくなる国ポルトガルです。

      今年は ポルトガルは小休止で来年1月末にアルガルベのアーモンドの花霞を見に行こうと思っていたのですが…
     
やっぱり私はポルトガル病なんですね。我慢が出来ませんでした。

今年は11月に行って思わぬアクシデントに遭遇。現在 その時の旅日記 「ポルトガルはいつも優しく迎えてくれる」を更新中です。

  これから何年生きられるか分りませんが、旅が出来る体力があるうちは出かけたいと思います。

 

            

ポルトガルはいつも優しく迎えてくれる⑳…質素・簡潔を旨とする1000人の修道士が生活していたアルコバッサ修道院の巻

10月31日(水)~11月9日(金)まで正味7日間の短い
ポルトガルの旅日記ですが読んでいただけたら嬉しいです。
潤沢な資金を持って旅する方にはなんの参考にもなりません。
年寄り夫婦の節約旅です。途中 ばあばが転んで顔面強打。
お岩さんになりながらも旅を続けた涙もん旅となりました。
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11月5日(月)


 前日 エルヴェスで転んでひどい顔になっていますが今日も予定通りに出かけることに決めました。ベッドに寝ていてもよくなることはないですから。頭痛も消えて、昨夜は大いびきだったようです。苦笑。

  

アルコバッサまでは高速バスで行きます。セッテリオスバスターミナル発 9:30
(リスボンからアルコバッサ バス代 シニア1人€9.6 ×2人で €19.2  ¥2578 日本で購入済)


  

バスの中からですがポルトガルらしくないカラフルな家が。


アルコバッサには11:20到着です。

 

バスターミナルからアルコバッサ修道院まであるきます。

クリスマスのライトアップの準備ができてました。夜は綺麗なんだろうな。

 



アルコバーサ修道院(Mosteiro de Alcobaça)に到着!


 レコンキスタに協力したシトー会修道院に感謝し建造を命じたもの。正式名称はMosteiro de Santa Maria de Alcobaça(サンタ・マリーア・ディ・アルコバーサ修道院)、またReal Abadia de Santa Maria de Alcobaça(王立サンタ・マリーア・デ・アルコバーサ大修道院)とも呼ばれる。
 1989年、
ユネスコの世界遺産に登録された。


 ポルトガルは1143年に王国として独立しました。しかしこの時代には、ポルトガルが独立するために、イスラム教徒との長い戦いが行われていました。そのため、国土は荒廃していたので、ポルトガルの初代国王のアフォンソ1世がシトー会をこの地に招聘して、土壌を開拓することにしました。シトー会を招聘した理由は、シトー会が土地の開拓や農耕技術に優れていたからです。そのため、1153年にアルコバッサの修道院を建設し始め、アフォンソ1世没後の1222年に主要部分が完成しました。


シトー派修道会 について 参考資料

入場料 (シ二ア €3×2)

 ↑↑↑修道院の正面ファサードは18世紀に改築されたバロック様式だが、内部はゴシック様式が残っている。

            ↑↑↑  キリスト像が置かれた主礼拝堂
身廊の幅23m,高さ20m,奥行き106m. 彫刻などの装飾を一切排除した簡素な造りになっている。


  

  ↓↓↓ 王の広間(18c 建設)
修道院創設の物語を描いたアズレージョの壁が美しい。

  

↑↑↑16c末頃から修道士たちは芸術活動に力を注ぐようになった。粘土細工僧によって
作られたアフォンソ・エンリケスからジョゼ1世までの歴代の国王が飾られている。



↑↑ 厨房  巨大な煙突。7頭の牛を一度に丸焼きにすることができたという。

↑↑僧の間 15c末~16c末にかけて修練僧たちの宿泊場所だったが、隣に厨房が作られるとワインの貯蔵所として使用された。

ここを修道士が歩きながら瞑想していたのだろうか。

 ↑↓ 歴代の修道院長の像が置かれている 1180年にはすべての修道院長はここに埋葬されるように定められた。
   修道院の運営についての話し合いの場でもあり懺悔も行った。


 



💛ドン・ペドロとイネスの悲恋💛


 ポルトガル王アフォンソ4世(在位1325年~1357年)は1334年皇太子ドン・ペドロをカスティーリャ王国てのコンスタンサ・マヌエルと結婚させた。ところが、コンスタンサの女官のなかにイネス・デ・カストロという香しい美女がおり、ペドロはイネスの方に夢中となった。王位の後継者が正妻を省みず、不倫の愛に溺れるのを見かねたアフォンソ王は何度もペドロにイネスとの関係を絶つように迫るが、ペドロは聞き入れようとはしなかった。王女コンスタンサは王子フェルナンド(のちのフェルナンド1世)を出産したが早世した。やがて歳月が流れ、ペドロはイネスとの間に子も生まれた。


 公務をないがしろにしてコインブラで愛の生活を送るペドロに絶望したアフォンソ王は、ついにイネスを亡き者にするよう3人の家臣に命じた。1355年1月7日、王子ペドロの不在の間に3人の刺客はイネスを暗殺した。このことを知ったペドロは怒り狂い、ポルトガル北部で反乱を起こすが、母后ベアトリスのとりなしで、翌1356年8月に父と子は和解した。その5ヶ月後、アフォンソ王が死去し、ペドロはポルトガル王位に即位した。これがペドロ1世(在位1357年 - 1367年)である。


 ペドロ王は父王とは和解しても、実際にイネスを手にかけた3人の刺客は許せなかった。カスティーリャに逃れた2人はポルトガルに引き渡され、ペドロ王の目の前で処刑された。アラゴン王国に亡命した者は自殺に追い込まれた。イネスを亡くしたペドロ1世はその後、二度と結婚せず独身を通している。そして公務に精励し、しばしば地方を巡回して裁判を行った。その裁判は厳格を極め、ペドロ厳格王と呼ばれた。ドニャ・イネスの悲劇は、ポルトガルの詩や伝説の中で永く語り継がれている。 


 二人の石棺は翼廊の南側にはペドロ、北側にはイネスが置かれ、イネスの棺が足を
向け合う形で置かれている。


ペドロ一世の棺

↑↑石棺は6頭のライオンによって支えられており、側面には聖パーソロミューの生涯が彫られている。皮をはがれる場面で自分の皮を持っている。




 ↓↓ イネス・デ・カストロの棺
体が獣で顔がイネスの暗殺者たちに似せた6頭の動物に支えられた棺

側面のレリーフはキリストの誕生から復活までを表している。ポルトガル、ゴシックの
最高傑作。 


 二度目のポルトガルの時コインブラを訪れました。その時 涙の泉(Fonte das Lagrimas) に行きました。イネスが喉を切られて殺されたと伝えられる場所だった。あまり意味も解らず行ったのでイネス・デ・カストロが住んでいた館があったところだと今回知った次第です。苦笑。
 現在では瀟洒なホテルが建っているそうですが、その頃は小さな泉があるだけの寂しいところでした。再訪したいです。


↑↓ 中庭↑↓中庭

回廊から鐘楼が見えます。

 ご注意!修道院内にはトイレはありません。修道院を出て左にありますので気を付けて下さい。





お腹が空きました。お昼を食べましょう。

ざ~っと にわか雨が降ります。さっと降ってすぐ止むという感じです。

 

          ランチはイタリアン。ビール パスタ スープ で €11 スープは大きくて
                     二人でシェア。

 


お土産やさん

ご夫婦で営んでおられるお土産屋さん。
 いささか凹み気味の私に満面の笑顔をくださいました。元気でました!
            ありがとうございました。

                      


    バスターミナルに戻ってバスでオビドスに向かいます。

   

 

   

顔が出せません。だいぶ顔が腫れてます。(´;ω;`)

↑↓ アルコ川

       
       ↑↑ アルコバッサからバス(Tejo社)に乗りカルダス・ラニーニャまで。
       (バス代はシニア 1人€6×2人 で €12  ¥1611 は日本で購入済)



         カルダス・ラニーニャで乗り換えてオビドスにいきます。


         最後まで読んでくださりありがとうございます。


         


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