そうだ! 庭園に行こう! 「六義園」「旧古河庭園」を歩く
4月4日 表参道の裏通りで見つけた🌸。
ここらは割と🌸がない。
用事を済ませ 今日の目的地 六義園にきた。
六義園(りくぎえん)は、東京都文京区本駒込六丁目にある都立庭園で、「回遊式築山泉水庭園」の日本庭園(大名庭園)である。国の特別名勝に指定されている
旧古河庭園とセットの園結びチケット購入
200円なり。有難い。
「枝垂れ桜は葉桜です」とチケット売り場に書いてありました。👇 大きい枝垂れ桜です。次回は満開の時に来たいです。
【満開Live】しだれ桜ライブカメラ/東京駒込「六義園」 2023年3月19日(日)
👆👆👆 臥龍石
👇ツツジが満開の時の動画です。またこの季節に来たいなぁ。
六義園の満開のツツジ
六義園から歩いて15分くらいです。旧古河庭園に
着きました。
旧古河邸 大谷美術館
灯籠が多く建ってました。
きれいな水とは言えませんが鳥が飛んできました。
海外からのお客様が沢山見えていました。👇
美しいバラの花が咲くことでしょう。
👇プリンセスのバラです。
旧古河庭園 百年記念事業 春のバラフェスティバル バラ図鑑 Furukawa Garden Centennial Commemorative Project Spring Rose Festival
旧古河庭園の秋バラと紅葉(2017)
大谷美術館に入ります!
大谷美術館は鉄鋼業・ホテルの経営で知られる大谷米太郎(1881~1968)が晩年に計画し、実現を見ずして世を去った事業である。
大谷米太郎は、富山県の農家から身をおこし、無学文盲にもかかわらず努力を重ね幾多の事業を起こした立志伝中の人物と言われている。 30歳で単身上京し、日雇人足から大相撲力士、酒屋の経営を経て、鉄鋼業、観光業、流通業等多くを起業し、大谷重工業(株)、ホテルニューオータニ、(株)テーオーシー等の創業者として名を残した。
古河財閥が戦後の財閥解体にあい,この屋敷を手放すことになり、当時、大谷重工として取引のあった大谷に購入のはなしが持ちかけられた。
旧古河邸のある西ヶ原の敷地は、かつては明治の元勲陸奥宗光の邸宅があった場所で、宗光の次男潤吉が古河家に養子に入ったことで古河家の所有となった。(潤吉は古河家2代目当主)
大正3年頃、古河家3代目当主、古河虎之助(1887~1940)が本邸建設のために隣接する土地を買収して約1万坪の敷地とした。
本館建物と西洋庭園はジョサイア・コンドルが設計、大正6年5月に竣工。
洋風庭園に続く池泉回遊式の日本庭園は植治の名で知られる京都の庭師、小川治兵衛(おがわじへえ)が作庭、大正8年完成。
建物も庭園も竣工当時の姿を保存している極めて貴重な事例として、国の名勝に指定されている文化財である。
(昭和57年東京都の名勝指定 平成18年に国の名勝指定)
戦後は庭園建物ともに古河家の手を離れ国有となり、大蔵省の所管となった。
直後は進駐軍に接収され、イギリス大使館付き駐在武官の独身寮に6年ほど使用されるが、接収解除された昭和27年から無人の状態が約30年ほど続き荒廃が進み、蔦に覆われて近所でお化け屋敷と称されていた時代もある。シャンデリアは落ち、ガラスは割られ、土足で人が入り室内で焚き火をした形跡まであったという。
修復工事は昭和58年~63年に6年間の歳月をかけて財団法人大谷美術館が東京都の助成金を得て行った。
平成元年より一般公開を行っている。
お昼は駒込駅から六義園に行く途中の洋食屋さんで。安くて美味しかったですよ。
ワインも飲んじゃいました。🍷
いい散歩となりました。歩行距離は17000歩。青空の下、ちょっと遅めのお花見でした。
最後まで見てくださりありがとうございました。