小江戸 栃木 蔵の街を歩く (3) 山本有三ふるさと記念館 あだち好古館
山本有三氏は栃木市が生んだ文豪で真に文化人の名に値する先覚者だとありました。
幅広い分野にわたる業績により文化勲章を受章し、栃木市最初の名誉市民となりました。
山本有三
明治20年7月27日 栃木市に生まれる。本名は勇造。
ひ弱な一人っ子として大切に育てられ、女中の送り迎えで市立栃木幼稚園に2年通った。
栃木尋常小学校、高等小学校に通う8年間、全学年首席を通したが体力的にはやや劣りはしたが負けず嫌いで意地っ張りだった有三は精神的ガキ大将として友だちの信頼を集めていた。
15歳の春、勇往は栃木中学進学を切望したが父は許さず呉服やの丁稚奉公に出されてしまう。しかし商人の生活が嫌で一年足らずで栃木に逃げ帰ってきた。
学問をしたいと願い出たが父は許さず家業の手伝いを強いた。しかし母のとりなしで
状況が叶い、ようやく勉学の道が開けたのは18歳の時だった。
さらに岡山の第六高等学校に合格した2か月後、父急逝。入学を断念し、再び栃木に帰り
家業に就く。
家業を営みながらも勉学を続け22歳の時 ついに第一高等学校入学を果たす。同級生には土屋文明、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄がいた。
2年後 東京帝国大学独逸文学科戦火に入学。本籍を東京都本郷区駒込に移し、家業を廃業し、母を呼び寄せ、栃木を捨てたのである。有三26歳のとき。
ふるさとはいいなあ
父との確執、嫌悪した商業の街・・・有三は苦い思い出のある栃木と一度は決別
したが、ふるさとを思う気持ちはなくしてはいなかった。
昌は38年3月9日、太平山公園謙信平に建立された有三の文学碑の除幕式に訪れた
有三は「ふるさとはなんと温かく自分を迎えてくれることだろう」と感慨深く
挨拶した。そして晩年の有三は栃木をこよなく愛したのである。
昭和49年1月11日、有三は86歳で生涯を閉じ、ふるさと栃木市万町の菩提寺
近龍寺に眠る。
路傍の石
昭和13年の映画です。映りは悪いですが当時が偲ばれます。
山本有三ふるさと記念館
係りのおじいさまが丁寧に説明をしてくださいました。ありがとうございました。どうぞ、お元気で。
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あだち好古館
江戸時代末期より呉服類をて広く商う卸問屋に生まれた初代安達幸七が
コレクションした浮世絵、書画、彫刻、古美術品、仏像などを中心とし、蔵に眠って
いたものを展示公開したもの。
文久3年建築の土蔵倉庫を展示室にしている。
各部屋に階段があって二階にも展示されている。
その階段の急で幅が狭く上がり降りがとても怖い。
☟ 江戸歌舞伎 名場面 錦絵
☟ 宝塚少女歌劇 公演パンフレット
☟ 江戸時代の髪飾りや櫛
☟ 喜多川歌麿
☟ 狩野常信 大屏風
☟歌川広重 東海道五十三次
☟ 頼山陽 勝海舟
☟大久保利通 頼山陽
☟大久保利通
☟ 伊藤博文
次は昼食をとってから少し歩きます。渡良瀬遊水地に行ってみます。
最後まで読んでくっださりありがとうございました。